南中の歴史
過去の記事から南中の歴史に関するものをまとめてみました。
矢内原忠雄先生について
矢内原忠雄先生を知っていますか?
愛媛県生まれの経済学者で、1937(昭和12)年に反戦思想のかどで言論弾圧を受け東大教授の辞職を余儀なくされました。
第2次大戦後、東京大学経済学部教授に復帰し、1951(昭和26)年には東京大学総長に就任されました。
経済学者だけでなく、無教会派伝道者としても有名で、戦後日本社会の民主化に多大の影響を与えた人です。
本校と関係のある先生で、生家は南中校区にありました。
今治南中の校訓
〇 健康に心がけ、勉学に励む生徒
〇 勇気をもって、自己の責任を果たす生徒
〇 敬愛の心をもって、人のために尽くす生徒
矢内原忠雄先生の教えをもとに、初代校長 原 和忠 先生が作ったものです。
本校には、矢内原先生の直筆の記念碑「自由平和」があります。
校訓碑 矢内原忠雄先生
記念碑「自由平和」
この像の名前知っていますか?
この像の名前知っていますか?
名前は「健康の像」といいます。
今は運動場の第三グランド側にあります。この像ですが、歴史は古くなんと昭和44年生まれなのです。
実は最近知ったのですが…
学校の沿革史を見ていると
昭和44年 6月21日 健康の像除幕式
ということです。
近くに南中出身の方がいらしたら、こんな像あった?と聞いてみてください。
昔は、池(今は自転車置き場に変わっている)のほとりに白色であったかと思います。
こんな天気のいい日には健康の像がいきいきしているように感じますね。
富田中学校、清水中学校
今治南中学校は、沿革史によると
昭和42年4月1日に、 富田、清水両中学校を統合し、「今治市立南中学校」と改称 しています。
このおんさ、先月授業で使ったのですが、裏面を見ると… なんと写真のように富田中・清水中の文字が…
昭和30年ということですので、計算してみると、今から58年前に購入したもので、現在71歳の方が始めて使われたものになるわけです。
それが、今だに現役で使われているということに、驚きを覚えます。
今使っている校舎も50年先の後輩に使ってもらえるよういい伝統を引き継いで行きたいですね。